スケート雑感

トリノ五輪は、北米のスケート人気終盤期だったのか、と改めて気づく。

今週土曜日の朝日カルチャーが、トリノオリンピック関連の内容になるので、改めて振り返っています。
引っ越しの時、ちょうどこんな雑誌が出てきました。

カナダの雑誌なのに、表紙で一番大きな写真がロシアペアの不思議。

 

『SPOTLIGHT ON SKATING』です。
なつかしい。
エディターは、Ice Networkでも活躍されていたLynn Rutherfordさんだったんだ、と今頃気づきます。

トリノ五輪は、直前にミシェル引退、2008年リーマンショック前の最後の五輪……北米のスケート人気終盤期の五輪だったのかも。

この号は、ほぼ全体がトリノ五輪特集で、ミシェル・クワンが直前に五輪に行けなくなった会見とか、ステファンのひざの手術のこと、日本女子の会見熱々のフォンタナとジマーマン、などなどの記事が盛りだくさんです。
すっかり忘れていることがいっぱいで、ものすごく楽しい。
もうすでにインターネットでスケートの情報に日々触れてはいたけれど、まだ、今ほどにSNSなどからばんばん情報が入ってこなかったので、こういう雑誌がすごく嬉しかったのも思い出しました。

最後のページには、ミラ・リュンがジョアン・マクラウドコーチに「もうあなたとは仕事しないわ」と世界選手権後に言われた、しかもホームリンクの奨学金を打ち切りにされた、それに対してミラ・リュンも怒っている、という記事が。おお、こんなことがあったのか。いや、ただの噂だったのか。ミラ・リュンも、なつかしいなあ。ピアノ上手に弾くんですよね。元気かなあ。

スケート靴やブレードの広告もいっぱい。
そうか、2006年は北米でもまだこんな感じだったのね。

この間インタビュー(については、10月に発売予定の『フィギュアスケートLife』Vol.15に掲載されます)させていただいた佐藤有香さんに、北米のスケートについてもたくさん教えていただいたのですが、そうよね、ミシェル最後の試合(になるはずったのが)2006年のトリノ五輪、リーマンショックが2008年・・・そうか、北米、というかアメリカのスケートが大人気だった最後の頃なのね、トリノは。

トリノ五輪と言えば、ステファンの涙

というようなことをいろいろ思いながら、当時の映像をDVDで見ています。そのたびに、上に書いたようなことをさまざま思い出し、ぐっときたりしています。

ステファンの涙、覚えていますか?
トリノの会場で、一般の観客として友人と一緒に男子の表彰式を見たのですが、「もしかして、ランビ、泣いてる?」と、遠いところまで見えるレンズのついたカメラ越しに見ている友人に聞くと、「うん、泣いてるね」と。その返事を聞いたらなんだか胸が締め付けられて、ああ、そうか、ランビよかったね。と思ったことも思い出します。

また隣に座っていたブルガリア人? ルーマニア人? だったかの人は、「日本の男の子はいいわね。きっと上に来るね」と言っていました。日本の男の子って、髙橋大輔さんのことです。あの五輪、日本男子は1枠でした。

ああ、さまざまなことを思い出します。

過去の試合を見ることの楽しさって、忘れていたことを再度認識するのが気持ちいいことや、すでにその後のことを知っているので、「ああこの時はこうだったけど、2年後にはこうなって、こうなるんだよ」と、いろんなことを俯瞰して見ることができることかな、って思っています。

まあ、ここからは宣伝になってしまいますが、そういう感じの講座になると思うので、もしご興味とお時間ある方は、『フィギュアスケートの楽しみ方 ~2006年トリノオリンピックを堪能する~』にいらしてください。

さて、またDVD見るぞ。
(久しぶりに、撮りためていたDVDが役に立って、それが本当に久しぶりで、ひとまず引っ越しで捨てなくてよかった、という気持ちです。)

ABOUT ME
hasegawahitomi
ライター 長谷川仁美です。 フィギュアスケートのこと、そのほかに日々のことなどを。 「やっぱり、フィギュアスケートっていいな」「やっぱり日常っていいな」という思いで、このサイトを続けています。