半年くらい前にnoteに書いたものに少し手を加えて、こちらにも。
3連休の中日ですので、のんびりしたムードで。
スケート番組の録画を見終えてブルーレイデッキの電源を消すと、テレビ画面に映ったのが、ウィンブルドンの女子シングルス決勝でした。なんとなく見始め、あっさり引き込まれていく。テニスも比較的よく見るスポーツだなとぼんやり思ったとき、あれ、私の見るスポーツって、個人競技が多いかも、と気づきました。
フィギュアスケート、テニスは普段からよく見るほうで、オリンピックや何か大きな大会の中継があると見るのが、陸上、水泳、体操、スピードスケート、柔道、卓球、レスリング、馬術全般、近代五種、などなど。ほとんど個人競技ですね。
フィギュアスケート以外のスポーツは、テクニックについてそこまで深くはわからないけれど、それでもぐいぐいと引き込まれてしまうのは、多分、技のすごさとともに、試合の流れのなかでのその選手の心の動きや揺れ、強さなどを想像しながら見ているからなのかなあ、と。
フィギュアスケートは、スケーターの心のうち、断片、揺らぎ、人となり、強さといったものが、如実に表れるスポーツのひとつだと思います。
滑っているのも1人や2人で、2分50秒とか4分という短いような長いような時間です。だからこそ、そうしたものが濃縮されてあらわれるように感じます。
選手をじーっと見ている数分間って、ただぼんやり見ているだけではないですよね。
たとえば演技が始まり、難しいジャンプに挑もうとしているとします。
緊張の表情かな? 意外とすっきりとした表情にも見えるよね。がんばれー。さあこのジャンプだ。このジャンプはこの選手にとってこんな意味があって、でもこれまではほとんど決められないで来たよね。さっきの6分練習ではきれいに降りていたけど、本番はどうなるか。がんばれっ! ぐーーー、跳んだ、よしっ! 決めたー! いやー、決めましたよこの大事なところで。すごいなあ、ここぞというところでこんな大きなものを決められるのってどういうことなんだろう。怖くはなかったのかしら。だってもしも失敗してしまったら、五輪代表が遠ざかってしまうわけだし。でもでも跳ばない、という選択肢はなかったのかもしれない。そうか、でも数年前まではここまでの気持ちの強さを感じたことあったっけ? いや、あの大会では、難しいジャンプを避けたよね。でも今回は違った。何が違ったんだろう、いつどこで変わったんだろう?
演技冒頭から1個目のジャンプを跳び終わったくらいのところまでで、多分私の頭の中ではそんな独り言?思考?思い?が流れています。スケートの演技を見ながら、その選手のこれまでと今を思いめぐらしたり。
試合中の選手の心の動きに興味があるので、表情や視線、目の強さや弱さ、身体全体の動き加減、コーチなどとのやり取り、自分のルーティンなども、あれこれ想像しながら見ています。それに、そういうことのできるスポーツってそれほど多くないのかもしれないですよね。そんなスポーツを知ることができてよかったなーと、時々思ったりもします。